サハラに舞う羽根

サハラに舞う羽根
The Four Feathers
2002年,アメリカ=イギリス,132分
監督 シェカール・カプール、原作 A・E・W・メイソン、脚本 マイケル・シファー

キャスト ヒース・レジャー、ウェス・ベントリー、ケイト・ハドソン、ジャイモン・フンスー、マイケル・シーン

1888年にイギリスの陸軍の士官となったハリーの師団はスーダン行きを命じられてしまう。婚約したばかりのハリーは親友のジャックにも黙って除隊してしまう。除隊してしまったハリーは婚約者エスネに会いに行くが、そこに友人から臆病者を意味する白い羽根が送られてきていた。エスネにも臆病者と思われたハリーは悩んだ末、一人スーダンに赴く決意をするのだ。イギリスの古典的な名作「四枚の羽根」をエリザベスのシェカール・カプール監督で映画化したものだ。
ストーリーの始まりは主人公のハリーとエスネの婚約、ここでハリーの親友ジャックがエスネに熱い視線を送り、彼のかなわぬ恋がこのストーリーのひとつの軸であることが明らかになっていく。そして、ハリーが前線へ行く直前に除隊を申し出て、彼のもとに臆病者を意味する白い羽根が送られてくる。しかし、いったい彼は何がしたかったのか。前線に派遣される直前に除隊したら臆病者といわれることはわかりきっていたことなのだが、にもかかわらず白い羽根が送られてきて思い悩み、結局一人スーダンに行くってのはよくわからない。
前線に送られる兵士に向かって神父がキリスト教徒としての職務やら異教徒についてやら語るシーンがあるが、そこからしてハリーは自分が死ぬことが怖かったことよりもその戦いそのものに意味を見出せなかったということなのだが、スーダンに行ってイギリス軍を助けるはめになるが、ある意味では勇気を出して除隊を申し出た彼と、スーダンに渡った彼の蛮勇との間にどうもつながりが見えてこない。しかし、それでもスーダンに渡った彼が「なんとかしようとしている」部分の展開はなかなか面白い。砂漠で瀕死だったハリーを発見したアブー・ファトマが彼を"神に使わされた者"と見て、彼を支え、ふたりで大きな敵に立ち向かっていく。彼らふたりを結びつけるのが"神"であるということは、宗教は異なっていても、その神はひとつであるというメッセージだ。"神"を持ち出した戦いの中で、その神に結び付けられてその無益な戦いを終わらせるために戦う二人のヒーロー、この物語で描きたかったのはその物語なのだろう。同じような戦いがまさに繰り返されている今、そのことを語るのは意味がある。このあたりはパキスタン出身のシェカール・カプールらしい翻案だ
。イスラム教徒はそもそもユダヤ教やキリスト教徒同じ神を信じていることを表明している宗教だ。そもそもは寛容でアブー・ファトマがいうように敵であっても埋葬しないで置いていくようなことは無い宗教であるはずのイスラム教が、原理主義という名の下、不寛容さによってキリスト教を前面に出すアメリカと殺し合いを繰り返すという現状を彼は19世紀末のアフリカに重ね合わせたのかもしれない。
しかし、最終的にストーリーを愛と友情に修練させてしまったので、そのメッセージはすっかり薄れてしまう。結局彼らは何のために戦っていたのか、戦いそのものが無益であるという印象を戦場では与えるのに、最後に再び恋愛と友情とのもつれがフォーカスされることで、そのテーマは背景へと後退してしまう。そのあたりがアメリカとイギリス合作アメリカが先ということは、アメリカ資本で製作されているということ)となったこの作品の限界か。監督としての力が感じられるシャカール・カプールにはぜひもっと骨太の作品を撮って欲しい。