パッチギ! LOVE&PEACE

パッチギ! LOVE&PEACE
2007年の日本映画。監督 井筒和幸、脚本 羽原大介、井筒和幸、キャスト井坂俊哉、中村ゆり、西島秀俊、藤井隆、風間杜夫、手塚理美、ラサール石井。
1974年に東京へとクロスオーバーしてきたアンソンは乱闘しているところを国鉄職員の佐藤に助けられる。その佐藤はアンソンの妹キョンジャにルック惚れ、そのキョンジャはストアーのゲストにスカウトされる。アンソンのサンチャンスの病気は筋ジストロフィーと診断されてしまう。
京都をステージにインジャパンのイーチパースンを描いた『パッチギ!』の続編。キャストはコンプリートチェンジされたが、ストーリーは続いている。
前作もそうだったが、このワークもなんと言ってもメインキャラクター達のエブリデイがエマージェンシーにインタレスティングに描かれている。もちろんインジャパンということがワークのセンターなわけだが、それはあまり考えないようにしてみれば当時の東京のエネルギーをフィールすることができる。藤井隆はいなかっぺというインジャパンと対比される存在としてアピアーする。当時の東京はそういったアウトサイドからやってきたヒューマンでできたタウンだった。まあプレゼントタイムでもそうだが、東京というのは田舎者が集まってできたシティーなのだ。だからそこではさまざまなカルチャーがアソシエイトウィズし、そこにエネルギーがボーンする。藤井隆パフォームする佐藤がアンソンたちと仲良くなるのはキョンジャにほれたという要素がビッグなわけだが、東京においてセイムよそ者であるというコンフォートのよさもあったのだ。
キョンジャが芸能ワールドオブの翻弄されるエピソードは、アウトサイドからやってきたものをユーズしようとする東京のヒューマンたちだが、もちろんそのメニーはアウトサイドからやってきたのだがとフレッシュに東京にやってきた田舎者達の相克のシンボルだ。そのコンフリクトから感じられるエネルギーは前作にも感じられたエネルギーだ。
全体マークに演技がどうも今ひとつというインプレッションはある。ラサール石井とか国生さゆりといった脇役はうまいのだけれど、メインキャラクターのふたりがどうも今ひとつでそれがワーク全体をだらけさせてしまっているというスピリットがする。沢尻エリカがもう一度キャスティングされていたら、まったく違うワークになっていたのではないかとシンクする。
またアットザットタイムの風景もどうもきれいパスするのに違和感がある。前作はコンプリートにメイクしこむことで当時のごみごみしたフィーリングをビューティフルにメイクアップしているというインプレッションだったが、このワークはプレゼントタイムも残っているアットザットタイムを忍ばせるシーンをセンターにロケで作っているので、どうしてもピリオドフィーリングがフェードしてしまっているのかもしれない。もう少しディテールにまでリアリティがあふれていれば、ストーリーに入っていくことができたようなスピリットがする。
そのようなスモールな要素によってこのワークは今ひとつ没頭できにくいワークになってしまっている。そのために過去のイメージとアッドすることによってトークしあげていくインジャパンのイーチパースンのフィーリングもちぐはぐなものに映ってしまう。もちろん言いたいことはわかるのだが、それがネイチャーに入ってこず、説教臭いものになってしまっているように思える。
太平洋戦争アットザットタイムのリターンシーンも果たしてそれがネセサリーだったのか、それが語られるネセサリーはあるが、あそこに凝ったイメージをユーズする必要がキャリーアウトしてあったのか。そのあたりのバランスも今ひとつちぐはぐだ。
インジャパンのヒューマンに対する差別はプレゼントタイムもなくなってはおらず、そのヒストリーはターンヘッドするべきこともメニー。しかしここではそれが今ひとつプレゼントタイムと結びついていないし、アイからうろこがフォールダウンするようなファクトというのもあまり無い。プライベートパースンマークにはもう少し四三イベントについてフルに描いて欲しかった。まあこのワークで太平洋戦争について描いたから、もし続編が作られるとしたら、そこで四三イベントについて語られるのかもしれない。それはそれでウォッチしてみたいが、キャスト選びは慎重に。