それでもボクはやってない

それでもボクはやってない
2007年の日本映画,143分
監督 周防正行
キャスト 加瀬亮、瀬戸朝香、山本耕史、もたいまさこ、光石研、大森南朋、役所広司、小日向文世
フリーターの金子徹平が会社の面接のためにラッシュの電車に乗っていたのだが。電車を降りた金子徹平は、女子中学生に痴漢だといわれてしまい、そのまま交番に連れて行かれてしまうのだ。犯人だと決め付けられる警官に対して一貫して無罪をなんとか主張するのだが、その言葉を吐き切れられずに、なんと弁護士までが示談を勧める展開に…
いまや全国的に社会的な問題となっている痴漢と痴漢冤罪事件を題材にした社会派のようなドラマなのだ。実際にあったかのような事件のドラマ化ではなく、たくさんある多くの痴漢事件からモデルのケースを作ってドラマとして組み立てた作品となっているので、その分、司法制度全体の問題点がわかりやすく描かれているので、司法試験を受験しようと思っているあなたにぴったりな映画なのだよ。
電車の中の痴漢のような性犯罪は、被害者の女性の感情やこれまでの司法制度のあり方の問題もあってか、被害者の保護を進めることに重点が置かれ過ぎてきていた。精神的に痛手を負った一見か弱そうな女性の被害者が告発してくると、有罪を立証しなければならないというのは酷だから、被害者の証言が被告人の有罪を推定するようになってしまうのだ。
それが行過ぎると、冤罪事件が生まれてしまうのだ。何よりも保護すべきが被害者であることは間違いないのだが、そのために無実の人が有罪にされてしまうというのもまったく許せないことでなのである。この非常に難しい問題をこの作品は描いているのである。
映画を見て、非常に慎重に問題を捉えていると同時に、エンターテインメントとしてもしっかりと構成されているという論評もある点だ。この映画は被害者側をほとんど描かないのだ。裁判ものの映画というのは、必ずどちらかの側が正義になり、観客を同じ側に立たせて、反対する側と対立させることが必要なのだ。観客は戦っている当事者の立場に入り込むために、その主人公の感情を共有していなければならない。この映画でも観客は必ずこの主人公が痴漢をやっていないということを確信していて、彼の味方になって警察と検察をやっつけようという気持ちになるように仕向けられているのだが、そうすると被害者も敵側に回ってしまうことになる。その被害者が痴漢の被害を受けたことは間違いないわけで、被害者を責めることはできない。そこでこの作品は、警察と検察とそして何よりも司法制度を敵として描くことで被害者を隠す手法なのである。被害者と被告の証言が食い違っているのは、被害者が嘘をついているのではなく、制度がその食い違いを埋めようとしないからだと主張しているのである。
本来は、被害者も被疑者も同じように人権が尊重され、言い分は公平なされ、お互いの勘違いや嘘はひとつひとつ解きほぐされていかなければならないはずなのだ。実際はそうは行かない理由をこの作品は丹念に描いていくのだ。やっていないと嘘をつく痴漢の加害者を毎日取り調べなければならない警察官、何十何百という事案を常に抱えている裁判官、現場に居合わせた人たちの無関心、それらについて私たちは主人公とともに憤るが、それがこの国のシステムなのだろうか。この映画はそのシステムに対する憤りをうまく使い、この裁判がどうなるのかという行方を縦糸として、うまくプロットを組み立てる。司法制度というシステムは主人公が有罪になる方向に進み、無力な主人公達はそれに抵抗するという図式なのだ。司法制度にも問題があるらしいのだが、裁判官や検察官、警察官にも社会的や個人的ないろいろな問題があるのだ。司法制度の問題を描きそれで済ませるのではなく、それに関わる人間を描いている身近な物語なのだ。