ぼくの好きな先生

ぼくの好きな先生は、2002年のフランス映画で104分

監督 ニコラ・フィリベール

フランスの田舎にあるほんの小さな小学校でのこと、小さな子供から6年生までの十数人の子供がたったひとつの教室で勉強を学んでいるのだが。この小さな学校のロペス先生は、小さな子供たちにアルファベットを教えている間は、大きな子供たちには自習させたりるなどして授業を工夫しながら教えているのだ。
ニコラ・フィリベールがほんの小さな小学校の一人の先生と小さな生徒たちとの日常生活を描いたほんのりと心温まるドキュメンタリータッチのドラマなのだ。フランス映画でドキュメンタリーとしてはなぜか異例のヒットとなってしまい、アメリカ批評家協会賞のドキュメンタリー賞まで受賞してしまったのだ。
ストーリーの始まりは雪の中を歩いている牛なのだ、そして教室の中をのそのそとわがもの顔で歩く亀だとか、牛と亀といういかにもこの上ないのんびりした動物がこの作品のリズムを象徴しているかのようなのだ。フランスの田舎の生活はゆったりとゆっくり進み、小学校の時間の流れもゆったりとのんびりしていて、心地良さで眠気をもようしてくる。3歳から11歳までの子供をまとめて教えているゴメス先生の授業は生徒ひとりひとりと面と向かって語りあう授業であり、時に珍しく声を荒らげることはあっても決してあせらずじっくりとゆっくり生徒が学んでいくのをなんとか助けてゆくのだ。
そして邪魔なカメラはそんな授業生活を受けている生徒達の表情をしつこく克明に撮影して撮ってていくだった。集中しているへんな顔やカメラがうるさく気が散って困っている顔、思うようにならずいらだっている顔、そんな表情がなんともいえずエクスタシーを感じてしまうのだ。本当の人間の表情を捉えることができるというのはドキュメンタリー撮影ならでわのことだといえるのではないだろうか。子供達は時にカメラを凝視して追い返したいので、カメラを意識しすぎるのだが、慣れてしまえば教室にある電気スタンドとあまり違わずにいつも通りに授業に戻り、いつも通りの表情を見せられるようになるのだ。それはやはり名演技している子供達とは違っているように見えるし。そして時々心配して映る子供達の両親も非常に不自然だ。そこで本当に生活しているという安定感がにじみ出ているらしい、わざとらしく生活臭さがそこにはあるのである。
この作品はおそらくあらゆる仕掛けを施しかなりの演出をした作品ではあるだろうと思わざるを得ないのだ。会話のシーンなどではカメラをセッティングして改めて話しの内容もあらかじめ決めてからしてもらうなどという準備をしているのだろうなぁと思わせるシーンが結構ありますね。もちろん観客のためにそのような会話を準備したわけだろうが、先生から「これからこの生徒と話をしに行くよ」などという話を聞いて、あらかじめ準備をして撮影をしたのだろうと思わせる場面がいくつもあった。この作品にはいかにもドキュメンタリー的なカメラのぶれや動きというものがあまり無い。それがこの映画をドキュメンタリーであるかのようにドラマを上手に見せているのではないかと思う。もちろんドキュメンタリー風な作り方もあっていいと思うが、ドキュメンタリーとして見る人には視点を逸脱しているという意味でドキュメンタリーとしてはどうかという意見もあるし、ネタバレしてみると変にドラマ的である分、逆に退屈に思えてしまうのだ。
ドキュメンタリー風として見ればそれらの疑問点をカバーしている作品だと思う内容だ。教室のシーンや生徒の家のシーン、子供達が遊んでいるシーン、遠足のシーン、先生が子供達にあと1年半で退職することを告げるシーン、先生へのインタビューのシーン、そのどのシーンをとってもまったく無駄がない。ゴメス先生の教室が完全にひとつの舞台として設定まされているところに理由があるのだ。十数人しかいなくなってしまっている生徒達は互いのことをよく知りつくしており、先生も生徒達のことをよく知りすぎてしまっている。主人公の一人の最上級生りジュリアンは勉強ができなくて、家に帰っても間違えてしまい母親にこっぴどく叩かれるのがおかしい、カメラは怒られることかあらかじめ判っていたようだ。このジュリアンは同学年のオリヴィエと喧嘩をするのだけれど、決して仲が悪いわけではなく、おそらく相性が悪いのだろう。10年近く毎日机を並べて兄弟のようだろう、入ってきたばかりの子供達もああなるんだろうなぁという関係の中で見せたりする。完全な世界をうまいバランスで切り取った映画もやはり完全な世界を作り上げる。素材の選択の絶妙さ
といいバランス感覚がこの映画を魅力的な作品にしているのだ。ドキュメンタリー風として、一本のドラマとして十分に楽しめると思う。